どうも。日焼けで脱皮し始めましたRyuseiです。
スワヒリ語がやばくて「Swahiliiiiiiiiiii」ってなってるのと日焼けの「ヒリヒリ(ほぼかゆいだけ)」
をかけたつもりです...笑
スワヒリ語
とりあえず、言葉は大切ですね笑
要請の活動言語は一応英語になっていたのですが普段の生活はほとんどがスワヒリ!
とりあえず挨拶の種類が山ほどある。
何を話しているのかは全く分かんない。どこに行ってもスワヒリ(当たり前ですが)
オリエンテーションでタンザニアについての話があったが、どうやらスワヒリ語はタンザニアの歴史と深くかかわっているらしい。
もともと多くの民族が住んでいて独自の言葉を使っていたが、それを統一するために作った言葉がスワヒリ語。今も多くの民族は残っていて、ダルエスサラームの街を歩いていてもマサイの人を見かけます。ティンガティンガというタンザニアのアートにはだいたいマサイの人かキリマンジャロが描かれています。
またその民族をまとめるために、国内で指定された学校に通わなければいけなかったらしい。日本では多くの人が家から近い小中学校に通うと思いますがそうではなかった!
たとえると北海道に住んでいる子どもが指定された沖縄の学校に絶対行かなければいけない!みたいな感じでどこの学校になるか国から指定されて従っていたそうです。
いいのか悪いのかははっきり言えませんが、スワヒリ語に対すること、タンザニアへの愛国心につながっているのではないかと二週間生活してみて少し感じました。
道路や店の前にあるポールやバイクのシートがタンザニアの国旗をモチーフにしたものになっていたり。車のナンバーにも国旗が入っています。こんな感じ↓
英語は日本同様学校で習いますが、話せない人がほとんどです。簡単なあいさつや単語くらいは英語でできる人も多いですが、買い物(市場)で値段交渉はほぼできない。
スワヒリ語であいさつしたりするとめっちゃ笑顔になるしすぐ誰とでも友達になろうとする笑何なら値段やすくしてくれたりおまけつけてくれるぐらいスワヒリパワーがすごい!
普段歩いてるだけで見てるタンザニアの人たち、たまたま通りかかっただけとか信号待ちとかでたまたま会った絶対知らないでしょって人とでもほんと誰とでもめっちゃ笑顔で話してるし、携帯持ってる人だいたい電話してるしみんな超え大きいし日本じゃ考えられない感覚がすごい!
のでスワヒリ語、勉強します。
タンザニアで迎えた二回目の週末は
- 餃子づくりと無人島と忘年の会(島岡さんの会)
赴任まで約一か月半ホテル暮らしですが、普段の夕食は自分たち(ほぼやってもらっている)で準備をしないといけません。がいつも準備して頂いている同期隊員の方が外出をするということで、料理できない残った隊員みんなでとりあえず餃子を作ろうみたいなかんじで作りました。日本みたいに皮売ってないので皮も手作り。
思い描いていた餃子とはかけ離れたものができましたが食べられました。
皮とひき肉がかなり余ったのでピザとハンバーグも作りました!
NTCで地域実践という活動があり、「ミンズヤード」というピザがめちゃくちゃおいしいお店で活動していた隊員が僕含めて3人いましたがピザはうまくできませんでした(笑)
見た目はまあまあ良さげですがピザパンみたいになりました!
日曜日はMbudya島という無人島に行って夜からは島岡さんの会に参加しました。
無人島は1次隊の先輩隊員(同い年の体育隊員)に誘われて行きましたが、この先輩隊員僕の野球繋がりでできた友達の友達という偶然!世間は狭いin TANZANIAです。
大使館の方やインターンで日本から来ていた人も含め、また新しいつながりができました。
夜は島岡さんの会!
島岡さんとは昨年5月に横浜でお会いして以来でしたがなんとか覚えていただいていました。「全然合わないけどもうてっきり来ているもんだと思ってて...」と言われたときは少し焦りましたが笑
また違う企業の人やJICAタンザニア事務所の所長やタンザニアでパンを作っている日本人とかいろんな人とお話ができました。
ここで残念なニュースが。
約3時間所長の隣でいろいろなお話をすることができたのですがその中で
「協力隊員のキリマンジャロ登山が数か月以内に禁止になる!!!!!!!!!」と言われました。
話せば長いですが、シンプルな原因は度重なる先輩隊員の緊急搬送!だそうです。高山病等いろいろリスクはありますが、少しくらい大丈夫!と無理をしすぎて結局自力で下山できない状態になって搬送というのが続いたそうです。
なので恨むなら先輩隊員を!なんて所長も笑っていましたがせっかくタンザニアにいるのに、ショックすぎる笑
中腹ぐらいまでのハイキングならオッケーみたいです。
色々な人と話すことでいろいろ情報やつながりができることを感じました。
それではまた。
Asante!