The Road Not Taken 〜タンザニアライフ〜

JICA海外協力隊(青年海外協力隊)タンザニアでの生活、活動の様子をのんびり載せていきます!

Mchezo その3

 

どうも!

 

最近お世話になった人とかいろんな人と話す機会が結構あるんですが、今後についていろいろと考えることも多く頭がおかしくなりそうです笑

 

前回のブログより今回のやつの方が読んでほしい!って思ってます

 

今回でとりあえず野球のことは最後にしようかと思っていますが…

気分屋なところもあるのでもしかしたらまた野球について書くかもしれません。笑

 

 

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絶対に忘れられない虹の写真

理由は下のほうに書いてます

 

 

本題に入る前に、なぜレラで背番号が25番だったのかについて。 

結論から言うと、特に深い理由はありません笑

 

急遽選手登録をすることになって、北海道にいたのですぐにでも試合に出てほしいってなった時にユニフォームのサイズ合わせに余っていたユニフォームも代表に持ってきてもらいました。

 

その時にあったユニフォームが24番と25番この2つしかありませんでした。

ほんとなら自分の好きな番号を選びたかったのですが、そんな時間はなく、サイズ合わせて良かった25番を選んだ!

という感じです。

それでその後に入ってきたキャッチャーが24番をつけていたと。

 

でもちゃんと25番に愛着あるので!!!!笑

 

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何度もやめたいと思ったことがあったのに続けてきたのには理由があります。 

 

言い方悪いですが1つはあーだこーだ言ってくる周りの人(大人の指導者含めて)を見返したかった笑

 

楽しかったいい思い出もありますが怒られたりしたことも結構覚えてたりするじゃないですか。

 

 

 

試合の応援に集中してなくてお前が応援しないから負けた!と言われたこととか、結果残せてない時にお前がいると士気が下がるとかお前じゃ無理だ!

等々言われたことがありました。

まあ僕も愛のムチをいただいたこともあるので、見返してやろうとか、いつかぶっ飛ばしてやるとか子供なりに思っていました。笑

 

練習でやみくもに走らされたり声出ししてたり。寝ないで練習したこともありました。

実はバットってずっと振り続けると、手が開かなくなって手からバットが離れなくなるんですよ。笑

数時間タイヤ付けながら走っても人間死なないんですよ。笑

 

 

今となってはいい思い出ですが、今こんなことがあったら問題ですよね。

JICAの体育隊員同士で一番つらかった経験(練習)みたいなのを話したことが合ったのですが、野球だけ異常でしたね。笑

みんなそれぞれ専門種目を大学までやっている人も多いですが野球以外の種目でここまで異常なのはあまりなかったのを覚えています。

 

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去年の体育の日の体育隊員

 

なのでいま野球も改革が進んでいますが、いい方向に向けるために僕自身も野球に関わっていたいなって思っています。

 

あといろいろ経験して思ったのは、大人の操り人形みたいな状態が僕には向いてないと思っていました。

 

実際に僕が入った高校は、僕が現役の時(2012-2014年)は全部選手で練習メニューを決めて良い、夏暑くて練習に集中できないなら涼しい格好のハーフパンツで、冬寒くて練習に集中ができないならニット帽かぶったり暖かい格好で練習・トレーニングしていいと、スタッフが言ってくれていたチームでした。

 

最近はこのようなチームは増えてきていますが当時はまだ少なかったと思います。

 

中学はクラブチームだったので進路決める頃(中3の6月くらい)に母校に見学に行って指導者とお話をさせてもらって決めました。

中学生ながらこのスタンスにすごい魅力を感じたのを今でも覚えています。

それでその当時の2個上の先輩(僕が中3の時の高校2年生新チーム)は秋の大会で県大会優勝して関東大会ベスト8まで行ってて。

 

 

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ほとんどが一般就職してますが社会人野球、プロ、演歌歌手と多方面にチャレンジしてます!

 

 

確かに大人(指導者)のサポートは必要ですが、自分自身である程度考えていくことは必要ですね。これは上のレベルに行けば行くほど考えることが大切ですね。

 

ただ高校生に全部考えろ!って求めるのは難しいので程よい距離感を保っていくこと、指導者が柔軟に対応できるように指導者も学び続けること、ある程度のことが教えられるように資格等を取得しておくことも必要だと思っています。

 

だから今僕自身も空いた時間を使って資格を取るべくぼちぼち勉強していますので、さぼっていたら発破かけてください。笑

 

 

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もう一つの理由というかきっかけというか...

 

高校生の時のある出来事がきっかけで、今しかできないこと、自分にしかできないことをやろうと思うようになりました。

 

高校2年生の時の6月、まだ入部してきて間もない後輩が脳出血で帰らぬ人になってしまいました。

その子はまじめで能力も高く、1年生ながら夏の大会にベンチ入りするくらいの勢いがありました。

ゆくゆくはエースになっていたんじゃないかと。その子とは結構話をしていた方だったので、突然の出来事に部員みんな驚きを隠せずみんな悲しんでいました。

でも、前を向くしかない!と監督コーチのサポートもありみんな気持ちを切り替えることができたんじゃないかなと思っています。

 

僕の通っていた学校はキリスト教系の学校で、毎週月曜日に礼拝(お祈り)の時間がありました。週が明けて礼拝の時間の最後に、宗教担当の先生が「みんなで彼に向けてお祈りしましょう」と言ってお祈りをしてその日の礼拝が終わりました。

 

チャペル(礼拝堂)から教室に戻る際に廊下から外が見えるのですが、その時に虹が出てました。その時の写真がこれです。

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偶然かもしれませんが、もうこんなん号泣ですよ!笑

 

 

虹を見るたびに僕はこのこと思い出して頑張ろう!って思ってます。

大学卒業してJICAの研修、タンザニア、帰国してからの長野、北海道と結構いろんなところで虹を見てそのたびに写真アップしてたら同期から「虹ボーイ」と呼ばれました笑

 

 

このこともあり、今しかできないこと、自分にしかできないことにチャレンジしよう、取り組もう!と強く思うようになりました。

 

だから野球するときは本気で野球に向き合いたいし、必死になりたい。今しかできないから

という思いで続けてきました。

 

シーズンが終わった後に北海道のファンの方から

「レラの中で一番本気なのが伝わってきてました。来年もプレーみたいです」

「相手チームだったけどずっと応援してました」

 

って言ってもらったときは「やってて良かった!」と思えましたし、ちょっとグッとくるものもありました笑

 

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野球のことばっか書いてますが、タンザニアに戻りたくないわけじゃないですよ!笑

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JICAとかもかなりチャレンジだったし応援してくれる人がいたから挑戦できたと思っています。

子供が受験だったり何かにトライするときに周りが「無理だよ」とか「厳しいんじゃないか」って結構言いがちだと思うんですよね。特に学校での進路指導とかはありがちだと思います。

 

こういうのもなくなったらいいなーって思いながら、何かお話する機会があったらいつも言うようにしています。

 

挑戦するのは今しかできないこともあるし、やってダメだったら違う方法を探したらいいんですよね。

 

こんな話も含めて本日12月4日21:00からのイベントでお話をしたいと思っております。

お時間ある方、Facebookライブで配信する予定なので少しでもいいので見てもらえたらなって思います。

 

 

ではまた。

 

Asante!

 

 

 

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